ぴあぴあだより

おんがく教室ぴあぴあからのお知らせです。

耳コピ遊びと恐ろしい体験(生い立ちと教室が出来た経緯②)

【 音楽をはじめた頃のこと 】

耳コピ遊び


両親はピアノを弾かなかったのですが、

祖父母宅ピアノがありました。

私は頻繁に一人で泊まりに行っていたので、ピアノに興味をもつようになり

大手楽器店の音楽教室に通う事になりました。

幼稚園の頃です。



音楽教室では、ズラッとエレクトーンが並んでいて、

その前に20人くらいの子ども達が座り

歌ったり、音楽に合わせて鍵盤を弾いたりするレッスンを受けました。


幼稚園の先生のような、やさしい先生のもと、

歌を聴いたり、歌ったりするのが楽しかった覚えがあります。


「ちびっこカウボーイ」

「こわれちゃったクラリネット


など、お気に入りの曲を

家に帰ってからも歌ったり弾いたりして楽しんでいました。



始めは習ってきた歌を弾いていましたが、

そのうちテレビアニメの音楽もピアノで弾いて遊ぶようになりました。


はじめ人間ギャートルズ

ガッチャマン

タイガーマスク

宇宙戦艦ヤマト


など、手あたり次第弾いていました。

(アニメのラインナップが悲しいくらい兄の趣味です…。チャンネル権が兄にあったのでしょう。)


どんな曲でも、ピアノは平等に鳴ってくれるのが楽しくて

弾き始めたら日が暮れてました。



ちなみに、楽譜はありませんでした。

(あったとしても当時あまり読めていませんし。)


聴いた曲をピアノで弾く事を

最近では「耳コピ」といますが それです。

絶対音感」という音感を使った作業です。

私はこの音感があったので、この遊びが出来のだと思います。


絶対音感」については

質問を受ける事がとても多いのですが

書き始めると長くなってしまうので、

また別の機会に書きたいと思います。


とにかくピアノを弾くのが楽しくて仕方なかった楽しい思い出です。

恐ろしい体験


ほどなく、音楽教室のクラスが変わります。

新しいクラスは作曲の基礎を習うクラスでした。

簡単なテストを受けたので、

教室からの勧めに応じて希望して進んだクラスだと思いますが、

ちっとも楽しくなかった記憶しかありません。


先生は見たこともない濃い化粧と茶色い髪をしていて、

コテコテの大阪弁

「こんなモン間違えるような子は逆立ちして難波一周してもらうデエ!」


みたいな話し方をする先生でした。

恐ろしかったです。

レッスンどころではありませんでした。




後で考えたら先生が怖いのではなくて、

先生を含め全体的にヤル気に満ちた

熱気に圧倒されたのかもしれません。


これも後々母から聞いたのですが、

このクラスは熱心な保護者が多く

母もその熱気についていけないと感じていたそうです。


親子そろってヘタレです。



結局、音楽教室は辞め

個人の先生に習いに行くことになりました。

平和が訪れました。

小学生になる頃です。



これも後日談ですが、

音大の大学受験の会場で 

この音楽教室のクラスメイトに出会うという偶然がありました。


やっぱり

「先生の化粧は濃くて、髪が茶色だった」

という同じ感想で笑ってしまいました。



ただ、彼女は負けず嫌いで、

その教室の熱気が好きだったそうで

そのまま、何年か在籍したそうです。


同じレッスンを受けていても受け取り方はそれぞれです。


合う合わないですね。


そして、結果的に通る道が違っても

同じ所を目指していたのも面白いなと思いました。


無理する必要はないということですかね。


合う方法で、楽しく続けていれば

目的地に到着するということ。


でも、進む道中の景色を楽しむことが

本当の目的かもしれませんけど。