ぴあぴあだより

おんがく教室ぴあぴあからのお知らせです。

日常生活の中の音楽(生い立ちと教室が出来た経緯⑤)

立見席は一等地

ヨーロッパには1年ほど滞在して、各地の音楽祭や劇場を訪れました。

拠点にしたのはイギリスです。


一応語学学校に入ったのですが意外に居心地が良く、ドイツ人とリヒテンシュタイン人の友人が出来て毎日一緒に遊んでいました。


私がオーストリアに行くつもりだと言うと
「絶対ウチにおいで!」
と言ってくれたので遠慮なく訪問させてもらいました。

彼女たちの自宅の別棟を足場に(二人とも大きなお家に住んでいて離れがあったんです!)小さな宿を転々と移動しながらドイツ、オーストリア、スイス、イタリア近郊を満喫する事が出来ました。

私が訪れた地域は都会に行っても緑豊かで街も人も落ち着いた雰囲気でした。

チケットの販売にしてもガツガツしていなくて、貴族的というか…、殿様商売というか…。


人によっては、そういう商売気の少ない所が「とっつきにくい」とか「気取っていて鼻に付く」という印象を持つようですが、私は好きでした。


音楽に限らず芸術が身近で手軽なのも素敵でした。

文化の成熟ということなのしょうか。

イギリスは博物館や美術館は無料ですし(学生は)、ミュージカルも激安席があります。

小さな劇場だけでなく、ウィーンの超一流劇場でも必ず立ち見席があります。立見席は安いだけではなくてステージの真正面の良い場所にあるのが驚きでした。

立見席はいつも学生でごった返して活気がありワクワクする空間でした。


帰国後、劇場で出会った人々


帰国後、小さなコンサートホールで働き始めます。

最初はチケットのモギリや客席の案内スタートし、少し慣れると常連さんたちの対応をするようになり、そのうち出演者のお世話をするようになりました。

最終的には劇場スタッフの現場責任者になりました。

出演者の(主に演出の方)と音響照明スタッフとの折衝や、案内スタッフの採用教育、観客のクレーム対応まで、コンサート現場の「何でも屋さん」です。


この仕事で一番気に入っていたのは、(一部の管理職を除いて)音楽が好きな人たちばかりで構成されていること。

みんなで準備して、本番を迎え、打ち上げをするのは本当に楽しかったです。

毎日文化祭の実行委員をやっているみたいでした。

プロのアーチストやマニアックなお客さんたちとのお話は、とても勉強になりました。

けれども、印象的だったのは、

プロではないのに練習し、劇場を借り、お客さんを呼んでコンサートを開くアマチュアの音楽家達です

アマチュアミュージシャン達は、(音楽系ではない)学生の団体からベテラン主婦の団体、定年退職後の男性の団体など、立場も年齢もやっている音楽も多彩でした。(クラシック、ハワイアン、ディキシー

ランド、邦楽などなど)。


ステージ本番前の緊張感とは対照的に、終了後の打ち上げでは生活感丸出しの話を聞く機会が多々ありました。

皆さん日常の雑事との折り合いをつけつつ、それでも音楽を続けていらっしゃるのです。


「人生には色んな局面があり、時間もお金もいつも自由使えるわけではないけれど、生活の中に音楽がある自分は幸せだ。」

と、嬉しそうに話されていました。

ずっと学ぶことで精いっぱいで気づきませんでしたが、仕事にしなくても音楽に真剣に向き合い楽しむ方法はいくらでもあるのだと気づきました。

生き時間、生き金の使い方(生い立ちと教室が出来た経緯④)

結局音楽の道へ

音大に進学

中学生になり、音楽熱は増すばかりです。

部活動はオーケストラ部(担当楽器はヴァイオリンでした)日々のミッションはFMラジオのエアチェックでした。
(多分死語ですが)エアチェックというのはラジオ番組を録音しながら聴取する事です。

そして転機が訪れます。


エアチェック中、衝撃の一曲

ワーグナー作曲
トリスタンとイゾルデ
に出会ったのです。

かつて聴いたことのない濃厚な音楽に圧倒され、膝から崩れ落ちました。

覗いてはいけない大人の世界を垣間見てしまったようでした。

音楽が
「不思議で面白いもの」
から
「感情を揺さぶられるもの」
に格上げした瞬間です。

音楽に憑りつかれてしまった私は
音大を受験。
音大生になってしまいます。

音大は天国でした。

厳しくて打ちのめされる事も多々ありましたが演奏技術だけではなく、楽曲を分析したり歴史的背景を勉強するなど、色々なアプローチで音楽を知ることが出来るのは、とても楽しかったです。


子どもの頃から不思議に思っていた手品の種を明かしてもらう感覚でした。


けれども、楽しい学生生活は瞬く間に終わってしまいます。

好きな事を仕事にするということ

進路の選択として「ピアノの先生」になる事も考え(懐かしの)大手楽器店音楽教室の講師登録説明会に参加したのですが全く魅力を感じませんでした。


大好きなはずの音楽が音楽教室の「商品」になった途端に何も魅力のないものに見えてしまったのです。


「好きな事は仕事にしてはいけない」
ということなのか…と思いました。


「どうしたもんか」
と思っていた時
アルバイト先の職場から声をかけていただき
営業事務として神戸で勤めることなりました。


「一番好きな事を仕事にするのはやめよう。」
と考えたんです。


仕事は残業もストレスも一切ないものでした。

仕事が終わるとコンサートや芝居を見に

オリエンタル劇場
文化ホール
フェスティバルホール

など訪れました。
「趣味」として楽しむために。

そして結局

「やっぱり音楽を仕事にしよう」

という結論に至っていしまいます。

どう過ごしても一日は24時間。
そして仕事をしている時間は一日の大半を占めるという現実を思い知ったのです。

営業事務をしている時間を全て音楽のことを考える時間にしないと私が生きている意味がないと…。


そして、何の戦力にもならないまま退職し
イギリスに渡りました。


「音楽を仕事にするなら自分が楽しいと納得できる事に携わる」
と決めていましたので一番好きな「劇場」で仕事をしたいと考えていました。

すぐに転職先を探すことも出来たのかもしれませんが日々劇場巡りをするうちに

「ヨーロッパでコンサート三昧の日々を送ってみたい…」

という欲望が抑えきれなくなっていたんです。

それと同時に、

「自分の経験値を上げてから仕事をしたい」

という思いもありました。

私は、内面から何かが湧き上がってくる人間ではなく
ある程度インプットをして、その経験を熟成させてからでないと、アウトプット出来ない性分なのだと思います。


そういう意味で、イギリス行は私にとってインプットの旅だったのです。

母方の祖父が商売人だったのですが

「生き金を使え」

「大切な事は身銭を削らないと身につかない」

と、よく言っていました。

この渡欧は「生き金」の使い方だったのです。

新しい先生(生い立ちと教室が出来た経緯③)

新しい先生

お弁当とレッスン

大手楽器店の音楽教室を辞め
ご自宅でレッスンをされている
ピアノの先生の所に通い始めます。

私は、小中高一貫校に通っていて電車通学でした。

土曜日の学校帰りに(当時は土曜日午前中学校がありました)
芦屋川を通り過ぎ、
そのまま御影にある先生のお宅まで
通っていました。

お弁当持参です。

先生のお宅で
他の生徒さんがレッスンを受けている傍らで
お弁当を食べ、レッスンが始まります。

「週末」
「学校帰り」
「満腹」

と条件が揃い、よくレッスン中に睡魔に襲われていました。

ですが、

「がんばって電車に乗ってきて、お腹いっぱいで眠いよね。」

と笑って下さるようなやさしい先生でした。

レッスンの内容は、オーソドックスで

「バイエル」
「ブルグミューラー」
チェルニー
「ハノン」
「バッハインヴェンション」
ソナチネアルバム」

ピアノを習う人が一通り通る
セオリー通りのルートを粛々と進むものでした。

曲の研究と研究発表

レッスンで弾く曲は当時の私には退屈で、あまり魅力的な曲はありませんでした。

練習も好きではなかったです。

けれども、ピアノを弾いて遊ぶのは大好きで
アニメ曲から始まった耳コピ遊びは幅を広げ

ゴダイゴ
サザンオールスターズ

など、よく弾いていました。

音楽は不思議でした。

限られた音を組み合わせているだけなのに

楽しかったり
悲しかったり
勇ましかったり

ゲゲゲの鬼太郎」になったり
サザンオールスターズ」になったり
「演歌」になったり

何でも出来るのです。

一人でいる時間は

歩いていても
電車の中ても
授業中でも(主に算数)

いつも何か曲を頭の中で再生して
音を探っていました。


レッスンはクラシック曲だけでしたが、

時々遠慮がちに

「先生、サザンオールスターズの「チャコの海岸物語」がバイエル教則本のこの曲に似ているのは、どうしてですが?」

など質問していました。

弾いてみせると

「あー同じ調だから色合いが似ているのかな。2つとも同じ和音で終わるでしょ?」

と、調性についてサラッと教えて下さいました。


ちょっとした説明でしたが、その説明をヒントに
他の曲の最後の和音を比べてみたりして
どんどん曲の研究にのめりこんでいきました。

そのうち、先生の方から

「今日は(レッスン曲以外に)何を弾いてきたの?」

と聞いて下さるようになり

レッスンの初めの5分間が
私の研究発表の場になっていました。

肝心のレッスン曲は耳コピの合間に
弾いていただけですが
そこそこ上手になってきていました。

ピアノを始めて間もない頃は
「何を弾くのか」
よりも
「どれだけピアノを弾いたのか」

で上達が違うのかなと思います。
何でも良いから
ピアノを弾けば弾くだけ上手くなるという事です。

そのうち練習量だけでは壁を越えられなくなる時がきます。

だから、初心者の時期は
出来るだけ好みで曲を選んでほしいと
思っています。

「同じ曲しか弾かないんですが…」
とか
「もう合格した曲ばかり弾きます。新しい曲は練習したがらないんです…」
と、保護者からのご相談をよく受けるのですが、
心配はいらないです。
始めのうちはピアノを弾いている時間が上達に正比例します。この時期の私がそうでした。


逆に言うと
練習時間は同じなのに、
上達を感じられなくなったときが、

おめでとうございます!初心者卒業です!

練習する曲と内容を少しづつ
見直す時期です。

そんなこんなで、
少し変わった生徒でしたが

のんびり楽しいピアノライフを過ごしていました。

耳コピ遊びと恐ろしい体験(生い立ちと教室が出来た経緯②)

【 音楽をはじめた頃のこと 】

耳コピ遊び


両親はピアノを弾かなかったのですが、

祖父母宅ピアノがありました。

私は頻繁に一人で泊まりに行っていたので、ピアノに興味をもつようになり

大手楽器店の音楽教室に通う事になりました。

幼稚園の頃です。



音楽教室では、ズラッとエレクトーンが並んでいて、

その前に20人くらいの子ども達が座り

歌ったり、音楽に合わせて鍵盤を弾いたりするレッスンを受けました。


幼稚園の先生のような、やさしい先生のもと、

歌を聴いたり、歌ったりするのが楽しかった覚えがあります。


「ちびっこカウボーイ」

「こわれちゃったクラリネット


など、お気に入りの曲を

家に帰ってからも歌ったり弾いたりして楽しんでいました。



始めは習ってきた歌を弾いていましたが、

そのうちテレビアニメの音楽もピアノで弾いて遊ぶようになりました。


はじめ人間ギャートルズ

ガッチャマン

タイガーマスク

宇宙戦艦ヤマト


など、手あたり次第弾いていました。

(アニメのラインナップが悲しいくらい兄の趣味です…。チャンネル権が兄にあったのでしょう。)


どんな曲でも、ピアノは平等に鳴ってくれるのが楽しくて

弾き始めたら日が暮れてました。



ちなみに、楽譜はありませんでした。

(あったとしても当時あまり読めていませんし。)


聴いた曲をピアノで弾く事を

最近では「耳コピ」といますが それです。

絶対音感」という音感を使った作業です。

私はこの音感があったので、この遊びが出来のだと思います。


絶対音感」については

質問を受ける事がとても多いのですが

書き始めると長くなってしまうので、

また別の機会に書きたいと思います。


とにかくピアノを弾くのが楽しくて仕方なかった楽しい思い出です。

恐ろしい体験


ほどなく、音楽教室のクラスが変わります。

新しいクラスは作曲の基礎を習うクラスでした。

簡単なテストを受けたので、

教室からの勧めに応じて希望して進んだクラスだと思いますが、

ちっとも楽しくなかった記憶しかありません。


先生は見たこともない濃い化粧と茶色い髪をしていて、

コテコテの大阪弁

「こんなモン間違えるような子は逆立ちして難波一周してもらうデエ!」


みたいな話し方をする先生でした。

恐ろしかったです。

レッスンどころではありませんでした。




後で考えたら先生が怖いのではなくて、

先生を含め全体的にヤル気に満ちた

熱気に圧倒されたのかもしれません。


これも後々母から聞いたのですが、

このクラスは熱心な保護者が多く

母もその熱気についていけないと感じていたそうです。


親子そろってヘタレです。



結局、音楽教室は辞め

個人の先生に習いに行くことになりました。

平和が訪れました。

小学生になる頃です。



これも後日談ですが、

音大の大学受験の会場で 

この音楽教室のクラスメイトに出会うという偶然がありました。


やっぱり

「先生の化粧は濃くて、髪が茶色だった」

という同じ感想で笑ってしまいました。



ただ、彼女は負けず嫌いで、

その教室の熱気が好きだったそうで

そのまま、何年か在籍したそうです。


同じレッスンを受けていても受け取り方はそれぞれです。


合う合わないですね。


そして、結果的に通る道が違っても

同じ所を目指していたのも面白いなと思いました。


無理する必要はないということですかね。


合う方法で、楽しく続けていれば

目的地に到着するということ。


でも、進む道中の景色を楽しむことが

本当の目的かもしれませんけど。

【手のかからない面倒くさい子ども】(生い立ちと教室が出来た経緯①)

私は音大出身ですが、ちょっと珍しい作曲科に在籍していました。

学年に数パーセントしか存在しない珍獣です。

一体どうやってそんな珍獣が出来上がったのか

生い立ちを書きたいと思います。

手のかからない面倒くさい子ども


私は、会社員の父と専業主婦の母、兄と弟の5人家族で育ちました。

のんびりマイペースな子どもで

兄が仮面ライダーに変身して見えない敵と戦っていても、

ヨチヨチ歩きの弟が背中に乗ってきても、

じっと座って絵本を読んだり、折り紙やお絵描きをしているような。


外出先で

「ちょっとここで待っててね」

と言われたら、じっと待っているような。

そんな手が掛からない子どもでした。


反面、何を見ても不思議がって 

「なんで?なんで?」

と聞く性格でした。


母からは「手のかからない面倒くさい子」だったと言われます。


例えば…

私「なんで人間は魚を食べるの?」

母「美味しいからでしょ」

私「魚が可哀そう。」

母「でも食べないと大きくなれないよ~。」

私「魚は釣られた時嫌だったかな」

母「美味しく食べてね!と思ってるよ。きっと」

私「何で自分が食べられるのに美味しいってわかるん?」

母「うるさいな~ はよ食べなさい」

こんな感じです。


動物園では…

私「このサルはいつ人間になるの?」

母「そんなの何万年もかかる話だから急にはならないよ。」

私「このサルが今1万歳だったら明日人間になるの?」

母「サルは1万年も生きてないよ。」

私「どうして?何でこのサルが1万歳じゃないってわかるの?」

母「飼育員の人が見たら分かるんちがう?ママしらんわ。」

こんな感じです。


面倒くさいですよね。一日中ですからね…。

でも、サルの進化について心配していた事はかなり鮮明に覚えています。

毎晩のように寝る前考えていました。

猿が人間になる瞬間を想像すると恐ろしかったのです。

朝、動物園の飼育員さんがサルの檻に行ったら人間のおじさんが寝てたらとか。

大人になって「猿の惑星」の映画を見て、子どもの頃の恐怖を思い出してしまいました。



そんな風に次々湧き上がる疑問を解決してくれたのが読書でした。

本には何でも書いていましたし

「何で何でうるさいな~」

とも言わないですからね。

本の中には宇宙のように、大きな世界が広がっていて手にとるだけでワクワクして幸せでした。

大人になった今も、湧き上がる疑問は相変わらずで

世の中不思議がいっぱいで困ってしまします。

そして、相変わらず読書は大好きです。


本当はピアノを習い始めた事を書くつもりでしたが、

長くなったので次回書きたいと思います。

自己紹介(教室を作った経緯)

なぜ今さら「自己紹介」なのか

保護者の皆さんからのご質問、ご相談で多いものが3種類あります。


 1 レッスン内容そのもの
   レッスンでの子ども達の様子
   レッスンの進度
   自宅での練習について
 
 2 私が子どもの頃のこと
   子ども頃の練習時間、練習の様子
   進んで練習していたのか
   母はピアノが出来るのか
   
 3 子育てについて全般
   教育について
   部活のことや塾のこと
   進路について
 
3番目はレッスンに関係ありませんが、レッスンを通して子ども達の性格など少しは知っているので、その上での教育についてのご相談なのでしょう。

塾や学校の情報提供したり、分かる範囲でお答えしています。


「ぴあぴあだより」をせっかくブログでお届けしているので、何なりと皆さんの参考になればと考え、自分自身のなど諸々書いていこうと思ったわけです。

連絡事項など書きませんので、気の向いた方だけどうぞお読み下さい。

自己紹介~なぜおんがく教室ぴあぴあをつくったのか~

<プロフィール>

1970年代 芦屋生まれ、宝塚育ち。


女子大音楽学部作曲専攻卒業。

好きな事 音楽など芸術。読書。考え事。
苦手な事 事務作業。整理整頓。計算。

子どもの頃にピアノを与えられて以来、音楽に魅了されます。

演奏するだけでなく、コンサート、ミュージカル、お芝居、歌舞伎、落語何でも好きです。

学生時代から劇場や芝居小屋を巡り鑑賞三昧の生活を送ります。

そして、国内では我慢出来ず、イギリスに渡りロンドンを拠点にヨーロッパ各地でも鑑賞三昧の日々を送ります。

帰国後大阪のコンサートホールに就職。

秋のコンサートシーズンには休日が1日しかないような一見ブラックな仕事を、「毎日生の音楽が聴けて最高!」と嬉々としてこなします。

< レッスンをはじめたきっかけ>

結婚、出産後、娘のママ友に頼まれた事をきっかけに、未就学児を対象にした(娘の友達と娘だけです)導入レッスンを始めます。

そして、小学校進学を機に、娘のレッスンを大学時代の友人に託します。

「娘をレッスンに通わせる保護者」デビューです。

この事をきっかけに、教室について本腰を入れて考え始めます。


促さないとピアノを弾かない娘の姿を見て、子ども頃毎日何時間でもピアノを弾いていた自分との違いに驚きます。

練習しない娘が普通なのだと知ります。

そして、普通の子どもに、勉強させ、遊ばせ、食べさせ、寝かせ、躾をしながら時間を作って練習させるという事の難易度の高さに愕然としたわけです。

でも、ピアノが弾けるようになるには練習するしかないのです。


その頃から

「どうしたら音楽が子どもの生活の一部になるのか。」

「どうしたら子どもが主体的に音楽に関わろうとするのか」

という事を真剣に考え始めました。


教室に来られる保護者は大体

「音楽を好きになってほしい。」
「生涯通して音楽を楽しんでほしい。」

と望んでいらっしゃいます。

中には

「東大生のお稽古事の上位はピアノと水泳だから興味を持った。」

「忍耐力、継続的な集中力、認知能力を高めたい。」

なんて保護者もいらっしゃいますが…。
そこらへんは私、東大に行ってないしよく分からない…としかお答えできないのですけど。


ピアノを通して音楽と関わって、音楽によって人生の楽しみが増えるように。

音楽を通して歴史や文化、人の感情に思いをはせる楽しさを知ることが出来るように。


ピアノ教室ではなくて、あえて「おんがく教室」にしました。

「ぴあぴあ」は、ピアノの「ぴあ」ユートピアの「ぴあ」です。

3月レッスン日

【3月レッスン日】

月 ①8 ②15 ③22

火 ①2 ②9 ③16

水 ①3 ②10 ③17

木 ①4 ②11 ③18

金 ①5 ②12 ③19

土 ①6 ②13 ③27

【3月振替レッスン】

3/1(月)3:00 catくん  4:00 TAちゃん

3/8(月)4:00 TAちゃん

3/25(木) 1:30 AMちゃん  5:00 NYちゃん

3/24(水)2:45 OHちゃん

3/26(金)3:00 KYくん


【お願い】
来年度のレッスン時間希望票の用紙をお配りしています。

分かる範囲で構いませんので、なるべく早くご提出下さい。

3月中に皆さんに来年度のレッスン時間をお知らせ出来るようにしたいので、ご協力お願いいたします。